なんとなくで、そしてうろ覚えで、
2記事分、書きます。
目次
ただ努力することよりも、考えることの方が必要です・・
お通夜に綺麗な紙幣を持っていくのはダメだった?
①ただ努力することよりも、考えることの方が必要です・・
なんていうか若い頃であれば、努力すれば、あれができる、
これができるとか、無根拠に考えて、
いろいろチャレンジしてみたりしますが、
やればやるほど、試してみればみるほど、、、
いつか自身がこんなに無力だったのか、
上には上がこんなにいすぎるのか、
ということを知ることになるのですが、、、
まぁそれはそれで成長したということです。
つまりただ上手になるために、上を目指すために努力していても、
所詮程度が知れる、ということを自覚すれば、あとは
どのようにオリジナリティを出していくかってことでしょう。
なぜなら自分より上はたっくさんいるけれども、
自分と同じヤツは、さすがにいませんので。
癖にしても、考え方にしても。
そう考えることができるようになると、気が楽になります。
そうなると、あとは自分のオリジナリティというものを、
いかに確立して、どこでそれを表現するのか生かすのかって、
ところでしょう。
まぁオリジナリティうんぬん言っていますが、
これはたしかに逃げ、ではありますが、
それでも、そうするしかないですし、
別に向上心自体を失ったわけではないですので、
自分なりにまだ伸ばせれるだろうと思うところは
努力して、上へは至らなくても、
多少なりとも良くしていくことはできますので。
それに限られた時間の中で、
自分が活躍できるところがどこにあるのか、
どういう感じでなら活躍できるのか、
いろいろあーだこーだと考えていくっていうのが、
ただひたむきに努力して、今より上手くなることを目指すことよりも
大事なことだと思いますが。
人間って言うのは、今現状、自身が持つ物を、いかにして活用していくのか、
考える生き物でしょうに。
一旦、手を止めてでも、じっくり考えてみるべきでしょう。
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②お通夜に綺麗な紙幣を持っていくのはダメだった?
とある誰かの話。
そいつは昔、若い頃、どこぞの勤め先に勤めていた頃に、
(もちろん社長のワンマン経営)
そこの会社の経営者の親族がパタリとなってしまったため、
なぜかパートを除く正社員全員が、そのお通夜だったか、に
参加するハメになってしまったのであるが、
(葬儀に出れるのは幹部だけ)
別に倒れた人とは、正社員全員まったく面識無いどころか、
社長の息子でさえ、誰だっけ?という感じであったとか。
で、それで、若かったそいつは、
一体いくら持っていくのか知らなかったので
嫌いな上司に仕方なく、社員はいくらくらい包むべきなんですか?
と聞いたら、普通に5000円でいいんじゃない?
俺はもっと包んでおくけれども、お前くらいだとそんくらいだろ?
とか言われたらしいです。
さすが社長の金魚のフンみたいな存在なだけはあるって感じで。
そんな感じでいたる機会で微妙にコビを売り続けていたから、
それなりの役職につけたんだろ、こんな会社で、、、とか思ったとか。
まぁとにかく、そんなやりとりが過去にあったらしいのであるが、
しかし1つ問題があったらしい。
この時、そいつの家にあった五千円札というのは、
新しいピン札しかなかったらしいのだ。
綺麗なお札であったとか。
しかし、これではいけないのであった。
なぜならそんな綺麗なお札だと、
このような自体を想定して以前から、
新しくて綺麗なのを用意しておいたのではないか?
とか疑われてしまうからである。
特に社長親族で経営している、会社では、
そういった誤解を少しでも生まぬように、
雇われ社員達は細心の注意を払わなければならなかったとか。
なので、少しでも使い古した、
汚らしいお札に工夫して見せかける必要があった、とか。
なんか、そこまで繊細に気遣いしなきゃならないとなると、
面倒くさいですね~。
<努力 未来 実り 思考>