江戸時代、見世物(みせもの)というモノがあった。
その名の通り、人を集めて
小屋の中だったり、路上で
大道芸というか、今で言うサーカスというか、とにかく
パフォーマンス芸を人の往来の中、見せたりするのだった。
おもに寺とかでイベントがあったりして
人が集まっているときに
その近くで、そういった興行が行われていたらしい。
で、芸人が、いろんな技を集まった人達(民衆)に見せていくわけであるが
( コマ回し、綱渡り、ブランコ芸、とか他にも手品じみたモノがあった )
その中に、「人馬」<ひとうま>という大技の芸があった・・・
どういう芸かというと、人の肩の上に、人を乗せて
下の人が全速力で走って、上の人が
その勢いに任せて、思いっきり、肩の上でジャンプして
10メートルほどのハードル(障害物)を
飛び越える、といった内容のものらしい。
(なんかスゴそう)
で、この芸を幕府の役人も見ていたのであろうか?
(なにげに、普通に楽しんでみていたんじゃないでしょうか・・・)
その芸が、見世物として流行していたときに
幕府側から、
「 最近、人馬っていうイタズラじみた、ふざけた芸を
人を集めて見世物として見せている奴ら(芸人)がいる、、、が、
その芸を見た庶民の中から
『へぇ~、こうやって、高いところを飛び越えたりするのかぁ、なるほどなぁ~』
など、と、“なにか良からぬこと”に使うために
熱心に見て学ぶ、ふとどきな者が出たりして
自分で練習しだすようになるので
そういう芸というか技を、人前でやるのは、今後一切禁止します、ダメ!」
、、、というような、幕府お得意の、いつもの「~すべからず」的な
庶民に対して上から目線の、“お触れ”(法律)が出された。
この御触れを、よく見ると
人馬芸だけではなく、人馬を主として
跳んだりはねたりするアクロバットな体術系統の曲芸の類いは
全部禁止とかって書かれている、、、、う~ん。
そして、この “なにか良からぬこと” っていうのは、つまるところ
「塀越え」のことみたいで、
そういう高いところを飛び越える芸ないし技を
庶民に見せていたりしたら、それを見た人の中から
なにか悪事(人の家への侵入、泥棒行為)を働こうとする人が
出てきたりするから、悪影響があるので止めろ、ってことですね。
大名屋敷とか、城にでも忍び込まれたら、たまったものではないし
幕府にとっては、そういう人馬をはじめ、いろんな曲芸をしたりする
見世物ないし見世物小屋は、泥棒志願者ないし泥棒候補生に
技を教える寺子屋(育成機関)みたいな感覚だったのか。
さすがに、ちょっと、そういう風にとらえるのは
心配しすぎ考えすぎなような気もしますがね。極端。
一瞬、幕府側の禁止する言い分をもっともなモノだと
鵜呑みにしかけたけれども、なんでもかんでも、
庶民の娯楽を幕府にとって都合の悪いネガティブなモノにとらえて
規制しだすのはどうなんだろうか?
そのような技を実際にマネして使う奴なんているのか?
大名屋敷の塀を肩車ジャンプしてまで
飛び越えようとする奴なんているのか?
江戸時代の泥棒の侵入手口を少し調べたところ、普通に
スゴワザなんて使わずに、とっかかりになりそうなところがあれば
そこから、塀でも壁でもよじ登って侵入しているんだけど。
それに、この、お触れが出されて100年くらいした後に
いろんな屋敷や城に忍び込んだ“ネズミ小僧”とかいうのが出てくるが
そいつは元・職業大工(とび職)だし、どちらかというと
日常的に人の家とかの屋根とか、高いところに登ったり
歩いたりする仕事をしている奴の方が、人の家に忍び込むことのできる
泥棒になることが多かったのでは?
<江戸時代 曲芸 泥棒 サーカス 技 窃盗 法律 御触れ お触れ>