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外国人から見た江戸時代の道路の整備状況とは?

 

 

 

うろ覚えで、テキトーに書くので、そこらへんご理解を。

 

 

 

皆さんは知っているだろうか?

あの日本の2大主要都市間を結ぶ、太平洋側にそって通っている

大きな道のことを。

 

 

江戸時代の人は、そこをよく歩いて通ったらしい。

旅人であるとか、その他仕事とかで、その主要都市間を行き来しなければ

いけなかったので、まぁそれなりに長い道ですが。

 

 

まぁ今では普通に新幹線が通っていますが。

 

 

 

で、そこは江戸時代当時からよく人が長い距離をいったりきたりして、

道中に旅行者向けとかの宿もそれなりにあったので

みんな休みながら歩いくことが多かったらしいのですが、

江戸時代から残っている文献とかで、その道の状態が、当時

実際にどんなもんであったのか、とか

こまめに詳細にかかれた物は、たぶんあまり残っていないらしい。

 

 

でも、なんか知らんが、江戸時代に日本にやってきた、

とある外国人医者が、日記で、その道の様子を書き綴ったのだけが

なんか知らんが残っているらしい。

 

 

 

いわく、当時(18世紀後半頃、つまり今から250年ほど前)

日本のその長い主要街道が、外国人から

どういう感じに見えたのかというと

1年中ずっと良好な状態を保ち続けていて、しかも道幅も広く

道のホコリが舞い上がるような季節になっても

 

(当時はアスファルトなんて敷いていませんから、下は土であった、

なので風の強い日などには、道の土などが舞い上がり、

道行く人達は、ゴホンゴホンと咳き込んだとか)

 

まわりに住んでいる人が、桶やら、ヒシャクやらで

水をバシャバシャと道の上にかけて

舞い上がらないようにしていたらしい。

 

 

また、大雨の時には、道が水びだしとかにならないように

道の端の方には用水?みたいな溝が掘ってあって、そこから排水されていた、

とか書かれていたらしい。

 

 

 

また印象に残ったこととしては、その道の人々の通行マナーが

良かったことが書かれていて、

大勢旅人達が、その道を行き交っているのに、誰一人ぶつかることもなく

スムーズに通行している。

 

 

当時の西洋だとか、道に馬車とか通っていて、よく通行人と馬車との

接触事故が起こっていたのに比較して

当時の日本では、道自体の幅が広く、そもそも馬車なんかまだ通っておらず

みんな普通に徒歩で歩いていて、

たまにカゴ

(当時のタクシー、もちろん人が両端を持って走って運ぶ)

に乗せられて

前後2人の力持ちにワッセワッセと運ばれていく人を見かけるくらい、

だったらしい。

 

 

(日本で馬車が出てくるのは、江戸時代が終わり明治になってから)

 

 

 

で、なんかその外国人自身もそこらへんを歩いた感想によれば

とても気持ちよかったらしい。

まぁ馬車とか通っておらず、歩行者だけですから、

気を張らずに、のんびり歩けますよね。

 

 

道からまわりを見渡すばかり田んぼ、田んぼばかりであった、とか。

で、どこどこの村を過ぎたと思ったら、

すぐに隣の村に入ってしまった、とかなんとか。

 

 

まぁ日本は土地狭いですからね。

歩いていれば、なんちゃらの森とか、

よく分からない土地に入ってしまうということもなく、

境界をこえれば、そこから隣の村へ、ってことなんでしょうね。

 

 

 

まぁ当時の、その主要な道の幅が広くなっていて、

それなりにいろいろと整備されていた理由としては、

単にみんな通ったから、ということだけではなく、やはり土地が狭く

お上の管理なりが、ある程度、道の細部にまで

いきわたっていたからなんでしょうかね。

 

 

 

それに旅人だけではなく、偉い人だってそこをよく通りましたので、

 

(参勤交代でよく使用した、毎年往復しますから)

 

いろいろと整備が行届くようにして、まわりのみんなでこまめに

管理していたのでしょう。

 

 

 

そうすれば、そこの主要道の付近に多く点在した

宿屋なり飲食店なりが、人が通りやすく多くの人が行き交うようになればなるほど

儲かりますからねぇ。

 

 

 

、、、っていうか、もっと国内人で、そんな有名な長い道の整備状況に関して

記したもの、もっとたくさん残せよ、とか思った。

もしかしたら、たくさんあったけれども、なんか知らんが消失したのか。

 

 

外国人が残した日記に詳細に書かれているとか・・・

 

 

 

まぁ大昔に存在したかも知れない

日本にあったかもしれない邪馬台国のことだって

 

(今から1800年前頃にあったんだっけか)

 

中国の古書に少し書かれているのしか残っていませんから

 

(っていうか当時の日本にはマダまともな字がなかったんでしたっけ)

 

意外と、自国の詳細な記録というものは、

客観的に観察してくれた外国であるとか海外に残っているとか、

そういうものなのかもしれませんが・・・はたして。

 

 

 

SH

 

 

 

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