江戸時代、都市部の町にはスリが多かったらしい。
(まぁ現代でも多いですけどね)
なぜかというと、スリで捕まっても当時としては
受ける刑罰が軽かったから、、、とかいうことらしい。
スリで捕まっても、腕に入れ墨をほられるか
ムチみたいなので叩かれるか
はたまた住んでいる町から追い出されるか、、、、
命まではなかなかとられなかったらしい。
まぁ大体、最初に捕まったら、入れ墨を彫られて
次また捕まったらムチで叩かれて
そして、ひどけりゃ町から追放されるような感じになっていたらしい。

私としては、入れ墨をほられる?
またはムチでひたすら叩かれるのが軽い?
とか思ってしまうのですが
当時としては、死刑にならなきゃ、それで軽いという考え方なのか?
ほんと、人命軽視なとこがある時代ですよねぇ、江戸時代は。
しかし江戸時代も原則スリは、現行犯で捕まえるのが
原則だったみたいなので
(当時、防犯カメラなんてあるわけないし
被害者の、あとからの目撃証言に基づく警察への申告とかも、
う~ん?みたいな感じだったし)
・・・そもそも、なかなかスリをその場で捕まえること自体難しい。

本当にスられたのかも、自分の懐をちゃんとその場で確認しないと分からないし
スリの手口も手練れならターゲットの懐にわざわざ手なんて入れずに
懐付近の布を人混みの中で、ササッと小さく切って穴を開けて
そこらスッと財布を抜くとか。
それに聞いた話では、当時のスリは、田舎から出てきた
おのぼりさん、だけを探して狙っていたみたいなので
都市部にずっと住んでいて、スリを警戒していそうな人や
近所の住んでいそうな地元の人は、恨みを買わないために
狙わずに、余計なリスクは犯さなかったみたいですね。
なので、都市部でスリは多かったが
どのスリもそれなりに腕はたつ人ばかりだし
(腕のたたないヤツはとっとと捕まり、サヨウナラ
それなりに手練れじゃないと、やっていけない)
そこの地元の都市部にずっと住んでいる人はあまり狙わないという
暗黙の了解の元、それなりに地元と共存しながらやっていたみたいです。

まぁけれども、おのぼりらしき人だけを狙っていたとはいえ
それでも「お前今!」といった感じで、何度も捕まったりしていたら
クビチョンパされて処刑される可能性もなきにしもあらずんば、だったので
スリで生計立てていけるのも10代、20代とかの若いときだけだったみたいなので、、、
30代に入ったら足を洗うか、暗黒界隈の中堅ぐらいにいなければならなかった
とかなんとか。
つまり当時の、都市部の暗黒界隈の若い下っ端が
(身寄りも無く、どうしようもない孤児みたいな子供が)
仕方なくシノギ集めの一環として、
やらされていた、という見方が強いですね。
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