うろ覚えで、なんとなく書くので、そこらへんご理解を。
あのとても有名な、江戸時代の終わり頃に活躍した
剣の凄腕達による、都の治安維持のために組織された警備隊、新撰組。
まぁ刀握って、反乱分子がひそむ、
いろんなところに斬り込んで粛正しまくった人達ですが
あの人達も一応今で言う公務員であったのだ。
まぁちょっと過激な当時の警察みたいな感じか。
当時崩壊しかけのお上らへんに雇われていたのだ。
で、そのちょっと過激な公務員達は、現代で言うと
いくらくらい給料賃金をもらっていたのか?
まぁいろんな修羅場に出向く仕事でありましたし、
それなりに給料は高かった。
当時のまぁほどほどにもらっている、武士、公務員とかで
私の知っている、当時、江戸に主張してきたヒラの武士であれば、月給3両、、、
まぁ当時で言えば、大体、まぁ幕末らへんですから、
高く見つもっても1両数万円、、、、計算しやすく5万円とすれば
1ヶ月に15万円程度であった。
(一体、どうやってやりくりしていたのか・・・そんな給料で、
まぁ今みたいに車持っていたり、意味のわからない支払いとか無ければ
それでもやっていけたんでしょうね)
江戸時代の半ばくらいまでは、1両10万円はいっていたのであるが、
当時は世も末だったので、そんくらいだ。
で、比較して新撰組はというと、ヒラ隊員で、当時、大体月に10両くらい
もらっていたんだとか。
う~ん、今で言うところの50万円くらいはもらっていたのかぁ、、、
まぁ現代のエリート公務員並には
もらっていたということですね。
(ちなみに新撰組のトップは月に50両で250万円、、、、
そして次席は月に40両で200万くらいだったらしい)
で、普通の月給がそんくらいだったが、もちろん活躍に応じて
その都度ボーナスだって臨時的に支給されたりもされたらしい。
修羅場にいの一番に斬り込んだりしたらとか、
どんなヤツを倒した、とか、
また純粋に倒した人数とかで計算したのか?
まぁ、とにかく、そんくらいあげていたから不景気な当時、
志願者もたくさん集まったんでしょうね。
高給取りになれるかもだからぁ~。
でもまぁ一応言っておきますが、ほんと江戸時代の最後くらいには
1両、大体数千円くらいにまで下落してしまいますから・・・
それに新撰組ができた当時も、
もうすでのかなり米の値段とかの物価もあがっていたとか
聞きましたし。
詳しいことまでは知らんが、当時、
実質的に開国してしまい、
いろいろ外国と不平等条約をお上が結んだせいなのか
なぜか価値のある金が海外に流れ出てしまい、
仕方なく新たに品質の悪い小型の金を作りまくったら、
そうなってしまったんだとか。
まぁとにかくそういう感じだったということでぇ~
SH
ただでさえ、娯楽の少なかった江戸時代には
すでに、ただの城勤めのサラリーマン化していた武士の娯楽は、
酒飲んで、どっかで美味しい物を食べるくらいだった。
何を食っていたのか、というと、まぁなんか鳥鍋食べたり、貝鍋食べたり、刺身食べたり
卵焼き食べたり、田楽食べたり、、、あとは餅だか饅頭をひたすら食べた。
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