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江戸時代の庶民のツアー旅行はどんな感じだったのか?

しゃにん

 

 

 

江戸時代にも、ツアー旅行なるものがあったらしい。

というか、江戸時代は今現代とは違い

庶民が一人で気軽に旅行に出かけられるような感じではなかった。

 

一応、上からの許可を得られれば

庶民でも、意外と簡単に地元から出ること自体はできたみたいだが

地元を離れれば、道中、山賊みたいな浮浪者やらがワラワラしていた。

なので、道中は自分の身は自分で守らないといけない

というような物騒な世の中であった。

 

また道中も山ばかりで、道も今みたいに整備されていないし

なかなか、自分1人で徒歩旅行というのは

キツいモノがあった。。。

 

 

そんな中で、庶民の間で流行ったのが「講」(こう)と

呼ばれるものであった。

 

この「講」、、、

厳密には“参拝講”と呼ばれるものであったが

たとえば、富士山に何回も登ったことのある人が主催して

庶民の中から何人かメンバー会員を集めて

毎月、集会を開いて、その時に、定期的に会員から会費を集めて

その集めた会費の中から

いくらかは貯蓄して、残ったいくらかは

講の主催者側が手数料としてもらう。

 

そういう集会を何回も開いて

最低、毎年1回は、その主催者が会員を連れて

富士山まで案内して連れて行ってくれる、ということが行われていた。

(こういうのを参拝講の中でも、富士講とか言われていた)

 

富士山だけではなく、他にも三重県にある

伊勢神宮という超有名な神社にも連れて行ってくれるという

伊勢講というのも流行った。

 

 

まぁ、これが今で言うところの江戸時代の庶民のツアー旅行みたいなものですかね。

なので、庶民の中で

「富士山に登ってみたい」とか、「伊勢参りしてみたい」

という人がいたら

この実際に現地に何度も行ったことのあるプロの経験者が

主催している、いろいろな各種の講に

参加するより他はなかったわけです。

 

それに一人で現地に旅行に出かけるよりも

かかる費用というか、講の会費は安かったみたいですし

また、自分1人ではなく、

行きたい人何人か集まって、その道のプロの人が

案内してくれるので、道中の不安もあまりなくなるわけですから。

 

まぁ、とにかくこういうのが庶民の間で流行った、いや、、、

流行りすぎてしまったのだ。。。

 

 

こういう、いろんな主催者の元で

様々な講が開かれるようになると、だんだん怪しい奴らというか

変な奴らが現れてくるのが、世の常。

 

修行僧のような格好をして、

笠をかぶって、錫杖みたいな物を「チャラン、チャラン」とついて

町の中を練り歩く集団があらわれた。

 

そして、そいつらは家々をたずねては、

「俺たちは、神に仕えている身で、

富士山に登ったりと修行中だから、とにかく金を寄付しろ!」

とか、乞食行為というか、物乞い、というか

なかば集団で家々をたずねて、騒ぎ立てて恐喝したりする

迷惑行為を始めたのであった。

 

 

とにかく、たくさんある講の中でそういう奴らも現れたわけですね。

大人しく、旅行だけしていればいいのに。

人間って群れると、調子に乗って

ほんとロクなことしないですよねぇ?

 

だから、お上ないし、幕府に、そういった「講」自体が

目を付けられてしまい、

幕府側は

いろいろな講に対して、禁止令を何度も出した。。。

 

・・・しかし、あんまり効き目はなかったようで。

庶民の間で、こういった講という名の

旅行費を会費として納めて

貯蓄するツアー旅行みたいなものは

さらに、だんだん増えてきて、かなり流行ったらしいです。

みんな旅行好きなんですねぇ、というか、それくらいしか娯楽がなかったのか。

 

まぁ中には、主催者側が、会員が納めて貯蓄した会費を

持ち逃げして、行方をくらます奴もいたようなので

詐欺まがいの講もあったみたいですが。

 

まぁ、とにかく以上。

 

 

 

SH

 

 

 

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