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<江戸>鞭打ちの刑は相手を見て加減していた、他

 

 

うろ覚えで書いていく。

2記事書く。

 

 

 

①鞭打ちの刑は相手を見て、叩く力を調整していた

 

 

江戸時代の話。

今から250年ほど前。

 

 

 

とある、家とかの壁造りする職人さんが

喧嘩をして捕まって

背中を100回鞭で打たれる刑になってしまった。

 

 

これが結構痛くて、気絶とかしてしまうのですが・・・

 

 

 

で、叩く人もその道のプロで、それなりにちゃんと痛いように

背中を鞭で叩くけれども、下手なところは叩かずに

叩いても体に障害が残らないように叩くことができたのだとか。

 

 

つまり経験上、微調整できるということで

体弱そうな人には加減しながらも、しかもしっかり打った痛みだけは

残るように叩いていたんだとか。

 

 

優しいですね?

 

 

 

で、その捕まった職人さんは、結構いい体していて、

しかも立派な刺青まで背中に掘ってあったので

 

(江戸時代は、大工さんとか、カタギでも

仕事中裸なので

見られるのであれば、体に刺青掘ることが多かったので、

家の壁造り職人とかも同じだったのかねぇ)

 

これは結構強めに叩かなければ、とか

むち打つ人も思ったらしい。

 

 

それで、打たれる側は、なんてことない感じで早くしてくれ、

とか催促してくるので、びしびしと鞭を強めにたたきつけた。

 

 

で、もし、そのまま連続してマジで100回打ってしまうと、

打たれた側は起き上がれなくなるので

途中で小休止して、なんか薬かなんか飲ませてあげたりするのですが、

途中で声かけても、そのままタイム挟まずにやってくれというので

打ち続けることになったらしい。

 

 

 

で、全部打ち終わると、さすがに背中は腫れあがっていて

刺青もふくれあがっていたが

なんか去り際に肩のコリがとれた、ありがとう、とか言ったらしいのだと。

気丈ですね。

 

 

 

とにかく江戸時代の鞭打ちの刑を執行するときには

打つ側は、ちゃんと打つ相手の様子を見ながら

やり過ぎないように、執行後、起き上がれるように

かつ、手加減しすぎて、無意味な刑にならんように

気を遣っていた人もいた、ということで。

 

 

<関連する記事>

 

酒に酔って被害者に刑を執行した話

 

夫が親指より細い棒で妻を叩けば無罪になる法律

 

 

 

②落ちていた尻拭き紙から、逃走経路を割り出された話

 

 

今から400年ちょっと前の話。

 

 

とある大きな戦があったのだが、

負けた側の敵将がとりあえず逃げようということで

着の身着のまま戦場から逃げ出していくのであるが。

 

 

もちろん買った側からすぐに追跡が開始されるのであるが、、、

 

 

意外とあっさりどこへ逃げたのか判明した、というのも

逃げる道中、山中にて尻を拭いた紙がところどころ落ちていたらしいのである。

 

 

当時、尻拭くのにちゃんとした紙使うなんてことは

庶民の間ではなかったため

(庶民は尻拭き用の木片やら使っていた)

すぐに「これは、あいつに違いない」ということで

分かったらしいのである。

 

 

で、まもなく落ちていた尻拭いた紙をたどり

近場を捜索していたら

発見したので捕らえられることとなったんだとか。

 

 

なんというか、ぬけているというか

庶民の生活ぶりも、いざ落ち延びる時のために

知っておく必要があったんじゃないですかね。

 

 

おのれが負けたときのことまでは

考えていなかったのか。

 

 

 

SH

 

 

 

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