今から500年ほど前の法律の話。
その頃の、とある地域の法律で、、、
「 もし、なにかしら所有者の不明確な土地があり、
どっちが、その土地の所有者か争っているヤツラ(2人)がいたら
どうしても、その2人の当事者の話し合いで
うまく決めれないのであれば
その土地を10、として見れば
その当事者2人、お互いに、その土地を5:5で分けての
所有ということにしてはどうか?、、、
とにかく、そんな感じで、お互いに和解しろ!
けれども、、、どうしても、それができない!、、、ということであって、
いつまでも不毛な所有権争いを続けるつもりであれば
その地域の偉い人である、
この法律の制定者である私自身が
その土地を、自分の所有地ということにして
強制的に、丸々取り上げてしまいますよ?いいですね!
そして、その取り上げた土地は
あなた方とは関係なさそうな、誰か他の人に
私が決めてあげちゃいますよ?
フフフフ。
・・・それが嫌なのであれば、サッサと
お互いに争いをやめて、妥協して、
やはり5:5になるような感じで分け合うように努力しろ! 」
、、、、といった感じの法律があった。
つまり土地の所有権争いの揉め事があった時の
紛争解決方法を、あらかじめ、こうするように、と
提示してあるワケですね。
それで、いつまでも、その土地の所有者が、、、
争っている人同士で、ダラダラと紛争し続けて
決まらなかったら、
その地域一帯を管理している偉い人自身が
その土地を預かることとして
揉めている人達とは、別に
その土地の所有者を探してきて決めてしまいますよ~、ってこと。
とっとと誰が所有者か決めろ、ってこと。
なぜなら、いつまでも、土地の所有者が不明確であったら
その土地が田畑であれば
上の方としても
年貢(土地の税金)の徴収面とかで
不都合がありますからね。
その土地の税金分は、誰を所有者として
請求して徴収すればいいんだ?
分からない。
争っている土地は、10あれば、大体5:5で分けて
所有することを話し合って決めて、とっとと争いをやめなさい!
というのは、、、なんというか回りくどいかも?
と思う人もいるのでは・・・
揉めている人同士がいれば
「 ここは、とりあえず、こいつの土地!
ここは、お前の土地!ハイ解決ね、これで 」
、、、といった感じで、
上が、ちゃちゃっと権力振りかざして
断定的に決めちゃえば
もっと簡単に解決できるんじゃね?
と思うかもしれないが、、、
あまり、その地域一帯を管理している人は
そうしたがらなかった。
なんていうか、揉めている人同士の
自主的な話し合いによる解決を、
できるかぎり重んじたかった、、、らしい。
上が白黒つけても、お互いに
揉めた相手に対する不満は残りますからね。
そういうところは、今現代の民事訴訟の裁判の流れに似ているかもね。
すぐに裁判官が、裁判の当事者2人に
「こんな感じで和解したらどう?」
みたいな感じで、サッパリと判決を出さずに
まずは妥協案を、それとなく提示して、お互いの反応を見たりするところが。
まぁ、しかし、つまり
揉めている理由が
どんな理由であれ大体5:5にして分けるようにしろ、
それができなければ取り上げるっていうのは、
ちょっと横暴かもしれませんがね。
もしかしたら本来、その土地の10割が
揉めている当事者のうちの1人の物かもしれないのに、、、、
まぁ、そこらへんは500年前の紛争解決の
法律ってことでして・・・
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