おすすめ記事(スクロールできます)



<江戸>警察官に代わりに町人が犯罪者を捕まえた

御用

 

 

最近、江戸時代の江戸、、、

つまり今で言う東京の犯罪者の捕まえ方についての流れを

ちょっとだけ調べていたので

私なりに分かったことを、テキトーに今回は書き出していきます。

 

 

当時の江戸には 町奉行所 という

今でいう“警察署”みたいなところがあった

そこでは、警察業務の他にも、いろいろ行政関係の仕事もすることになっていて

大変忙しく

そもそも、その奉行所にいる、今で言うヒラの警察官に当たる

「同心」(どうしん)の数も少なくて

実際に、江戸の町の警察業務にあたれた同心の数は

たった30人ほどであった。。。

 

ちなみに、江戸の ”町人” の人口は50万人以上はいたので

それに対して、警察官にあたる、同心の数が超少なすぎた。

 

そして、江戸野町に中には約300カ所ほどの番屋といわれる

“交番”があったが

その同心と言われる、ヒラ警察官は

人数が少ないので

その各番屋を、定期的に巡回するのみであった。

 

 

警察官である、同心が

番屋(交番)を巡回するだけであるのなら

代わりに、その番屋には誰がいたのか?

 

普通の 町人 が、かわりばんこで駐在していました。

つまり江戸時代の、江戸の交番には

普段、警察官はおらず

番をしている、担当の一般の町人がいただけ。。。

 

まぁ、しかし、その番屋には

番を任されている町人の他にも

正義感のある他の町人も

(自警団意識のある人達)

普段から、たむろしていて

その人達で、日頃から番屋のまわりの町中を警備して

怪しい奴がいたら職務質問したり、番屋に連れてきて尋問したりしていた。

つまり町人が、同じく一般の町人などを

取り締まっていたのである。

 

ただ、あくまでも、その人達は

番屋のまわりだけしか警備しなかったので

実際に、町中で、なにか事件とかが発生して

刃物持って暴れている奴がいたら

その場に居合わせた一般町人や、近所に住まう人達などで

協力して取り押さえるしかなかった。

 

そして、なんとか、犯人を取り押さえた後

みんなで、警察官不在の番屋まで連れて行き

縄で縛って、逃げられないようにしておいておき

(拘束・留置)

次の日とかに同心(ヒラ警察官)が、巡回してきたら

番屋の番をしている町人とかが事情を話して

そいつを同心に引き渡して

奉行所(警察署)に連行してもらう、というような感じだったみたいです。

 

 

なんで、同心というか、警察官の数が極端に少なかったのだろうか?

わざわざ町人に任せなくとも

同心になりたいって武士なんて掃いて捨てるほどいるだろうに

次男、三男とか。

上(幕府)としては、庶民のためなんかに金かけてまで

警察業務を拡大したくなかったのか、、、分からない。

まぁ、それでも250年以上なんとかなっていたんだろうから

当時はそれでよかったのかも、たぶん。

 

まぁ、それに、一応、岡っ引き(おかっぴき)と呼ばれる

元犯罪者達だが

捕まったけれども放免されて

同心の手下みたいな感じになった

同心の使いっ走りみたいな人達もいたが

(江戸の町に約500人ほどいたとか)

その人達は、犯罪に取り締まり(治安維持)よりも

原則、犯罪捜査、犯人捜し、とかしかしないし・・・

 

まぁ、とにかく同心をはじめ、

町中で犯罪者がいたら直接、捕まえてくれる

警察官などは、ほぼいないも同然なので

その時代、江戸の町の

治安維持に勤めていたのは、そこに住まう町人達自身であった、ということ。

 

今の時代でも、公務員削減を極端に推し進めて

警察官を減らしたら、

こういう江戸時代みたいな感じに回帰することになるのかね・・・

 

 

警察官である同心自身で

ちゃんとした捜査もせずに

町人達が「こいつが犯人だろう」ということで捕まえたりしてて

どれだけ、冤罪で捕まった人が出たことか。

一応、同心が、番屋に寄ったときに

その捕まった犯罪者とおぼしき人を軽く取り調べするとはいえ、、、

まぁ同心自身も、まともにやる気ある奴はいなかったみたなので

(代々世襲の人達ですから)

町人だろうが同心だろうが、どっちが犯人と思われる人捕まえたとしても

あまり変わりなかったのでしょう。

だから同心とか増やさず、町に住む町人に自身に治安維持やらせたのかもね。

人件費もかからないし。

 

まぁ、しまいには、江戸時代も末頃になると

江戸の治安が悪くなり

強盗などの犯罪が頻繁に起こるようになると

町奉行所(警察署)が

江戸の町中に高札というか、看板をたてて

「 それらの犯罪行為を見かけたら、犯人(と、おぼしき人)を

殺してしまっても構わない ので

みなさん(町人)で、がんばって取り締まってください。

捕まえたら、そのあと、私達が引き取りに来ます 」

とか、堂々と書いて掲示してあったみたいですし。

っていうか、町人が殺してしまってもいいのか、

そういう時代だったのか?

自分の身は、襲ってくる相手を殺してでも守って良し!

ということだったのか。

 

他にも、当時の江戸以外の各藩(今で言う、各地方の県)とかは

どうしていたんでしょうかね?

江戸でさえ、こんな感じだったんだし

江戸と似たようなもんだったのか、

もっと杜撰だった(警察は何もしなかった)のか・・・

 

 

 

 

SH

 

 

江戸時代でも、犯人を捕まえるために、よく使われた。

江戸では、どこの番屋にも大抵置いてあった。

犯罪者を見かけたら、誰でも、ご自由に持ち出して

ご使用ください、って感じ。

 

 

 

 

<江戸時代 警察 警察官 人数 一般人 一般市民 取り締まり>