皆さん、クカタチ(盟神探湯)って知っていますか?
ほら、アレですよ、
何か悪いことをしたんじゃないか、と疑われている人がいたとして
ならば、神の裁量にゆだねましょう、
もし、あなたが熱湯の中に手を突っ込んだとしても
熱がったり火傷したりしなければ、あなたは無罪となりますが
もし反対に、火傷や痛みを感じれば
やっぱり、あなたは悪いことしたとして犯人となる!
、、、、という感じの、大昔の日本でおこなわれていた
裁判方法です。
まぁ、つまり普通に考えて、通常の人間が熱湯に手を突っ込んだら
火傷するのは当たり前であって
神にゆだねるとかいいながら、疑われてクカタチにかけられた人は
有罪確定ということでして・・・・
それを考えたら、今の現代の日本の裁判においても
起訴されて裁判にかけられた時点で
有罪になる確率は99%なわけでして(ほぼ100%)
そこらへんは、あんま変わってないですよねぇ。。。
大昔と言っても、今から、かなり前の
1700年ほど前におこなわれていた、ということでして
その後から、次第にクカタチはおこなわれなくなっていったのですが
今から600年ほど前
つまり、クカタチの全盛期から1000年ほど経った後に
一時的に、またクカタチが復活したことがあった。
どうやら、ちょうど、その当時の偉い人が
神様大好きな人間でして
いろんな、その当時の人々の刑事・民事に関わる裁判で
おこなわれることがあったらしい。
たとえば、刑事裁判の例をあげると
不当に米の価格をつり上げて売っていた商人などをとらえて
やましいところがないのであれば
煮立っている湯の中に、入れてある石をつかみ取って出してみせろ!
とか命じて
取ろうとしたが、熱くて手を火傷とかして取れなかったりしたら
その後、問答無用で、クビチョンパの斬首にしたり、、、といった感じでした。
まぁ役人側としては、最初から、その商人に目を付けていて
始末する気マンマンだったのですが。
あと、当時の民事裁判の例をあげておくと
当時、けっこう山が開拓されていて
村と村との間でキコリどうしが
「この倒れている木、または置いてあったデカイ石を境目にして
うちの村の山と、あんたのところの山とを分けていたのに
あんた、その境目にあった木とか石を勝手に動かして
自分のところの山の敷地を広げたな!」
「いいがかりをつけるんじゃねぇ!
動かしたのは、お前んところの方だろ!」
、、、といった感じで、山の境目をめぐって
山争い が、けっこう頻繁に起こるようになっていた。
こんな感じで、山争いの揉め事になった時に
双方で役人にお願いするなどして
役人の面前で、双方の村の代表者同士などが出てきて
(または自信のある人)
クカタチをおこなったりした。
双方の村の代表者同士が、
十分に煮えたぎった熱闘の中に入れてある
これまた熱くなった石を、手を突っ込んで取らなければならない。
これを交代でお互いにやっていくワケです。
そして無事にやり遂げた方の言い分が
正式な物として、まかり通る、というわけです。
まぁ、しかし、事前に練習してきたのか
なにかしらのテクニックを身につけてきたのか
はたまた、ただ我慢強いだけなのかは知りませんが
双方の村の代表者、両者ともが
無事に熱湯の中から石を拾い上げることが
できてしまうことなどもあった、、、らしい。
まぁ、村の命運を背負っていますからねぇ。
そして、そういう場合は、どうなったのか?というと
「神は言っている・・・!
双方の言い分ともに、それなりにスジは通っている!、、、と」
「なので、今回のことは、村同士お互いに、もっとよく話し合って
なんとかして解決しろってことだ!」
、、、ということにされて
とにかく、もっと話し合ってなんとか妥協点をみつけろ、ということで
役人は、双方の村の代表者らを、とっとと帰すのであった。。。
これは、個々の村の意思決定を、ある程度
その当時、役人が、それなり尊重していたって
考えることも出来るが、、、、
(単に役人が面倒ごとの解決に対して、怠慢なだけかもしれないが)
まぁ、しかし、クカタチに自信のある人にとっては
ほんの一時的な時代のこと(裁判方法)ではありますが
都合が良かったんじゃないでしょうか?(笑)
なぜなら、つまるところ、
なんでも揉め事は、とにかくクカタチにかけてもらい
その我慢比べに勝てば
正式に、自分の言い分が通ってしまうのですから
ある意味分かりやすい紛争解決方法ですので。。。。
SH
個人的に会ったこともない人の葬儀に参列して出た話っていうのが
すごく気になります。
やろうと思えば、普通にできるんじゃないのか?
とか思ってしまう。
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