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江戸時代の“手錠生活の刑”は意外とゆるい?

わっか

 

 

江戸時代の刑罰に 手鎖(てぐさり)の刑 というのがある。

その名の文字通り、今で言うところの手錠みたいな形をした

鉄の輪っかを両手首に、はめられるのである。

 

しかし、別に、その手鎖をされたあとに

牢屋にぶちこまれることはなかった。

 

その手鎖をされたまま、しばらくの間(50日間とか)

自宅とか、または親類の家に閉じ込められて

謹慎させられることになるのだった。

 

もちろん、その手鎖を外すのはダメ、不自由なまま

しばらく生活して反省しろ、ということ。

 

これは、庶民向けの軽い刑罰として行われた。

 

 

具体的に、どういった罪を犯した人に、この刑罰が下されたのか?というと

たとえば幕府側から

「 一般庶民は風紀をつつしめ!

変な出版物を出したり、派手な生活や格好をして浮かれるんじゃねぇ! 」

みたいな、出版物に限らず、いろいろと規制するような禁止令とかが、

たまに気まぐれに出されることがあったが、

それにもかかわらず、官能小説、つまり今で言えば、エロ小説とかを

規制されているのにもかかわらずに、すすんで書いて出した作家とかに

「手鎖50日の刑」とかが、よく下されたりした。

 

禁止令が出ていて、罰せられることを知っていながらも

自分の力作のエロ小説を出さずにはいられなかったのだ・・・

 

まぁ、それに罰せられても

クビチョンパ(死罪)にまでされることはないって

分かっていたからでしょうかね。

 

 

・・・で、それに、その手鎖の刑になった奴らが大人しく自宅で

50日間、手錠をされたまま、生活するわけがなかった。

 

手鎖、つまり手錠の輪っかのところに紙を巻いて

自分の手に油を塗ってスルリと

普通に外して、刑の執行期間中、

家で悠々と暮らして好きなことをしていた。

まぁ、刑といっても、常時、誰かから監視されているわけでもないですからね。

 

そして、期間中、たまに奉行所(警察署)から、取り調べのために

出頭しろ、と言われた時だけ、また同じ方法で

今度は逆に手鎖をはめて、何事もなかったかのように出頭していた。

 

とにかく、手鎖の刑になった人の中で、こういうヤツが結構多かった。

 

 

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まぁ、しかし、手鎖の刑の執行途中に、たまに家まで

同心(警察官)が、やってきて

手鎖が外されていないか見に来てチェックしにきてはいたが

たしかに手鎖という名の手錠を、よく調べられたら

ちゃんと罪人が手鎖を常時つけていたかどうか

分かるようにはなっていたらしいが、、、、

 

そこは、袖(そで)の下という名の賄賂(ワイロ)を

いくらか渡せば、普通に見逃してもらえたらしい。

 

と、まぁ、そこらへんの話は、大体、江戸時代後期頃の話。。。

 

最初、手鎖の刑が始められた頃は、さすがに

外したことが分かれば、

すぐに上に報告されて死刑とかになったらしい。

 

とにかく、最初は、そんな感じで厳しかった、、、、が、

しかし、江戸時代も終わりかけになると、

役人もゆるんできて (代々、世襲ですからね)

けっこう金さえ包んで渡せば、細かいことは見逃してくれる。

ある程度は融通を効かせてくれることが多かったみたいですね。

 

当時の役人にとっては、幕府もケチだし、

給料は低いままで変わらないので、

たまにもらえるそういう役得的な賄賂は

生活のためにも大事にもらっておこうという感じであった。

 

 

とにかく、今回の記事で、私が何を言いたいかというと

江戸時代も後期になると、手鎖の刑という

「手錠しながら2ヶ月間ほど、家の中で不自由に暮らして反省しろ!」

という感じの庶民向けの刑は

ほとんど、まともに機能していないことが多かった、、、ということです。

それだけ。

 

 

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