うろ覚えで、2記事分、書きます。
目次
①客が動けない時を見計らい、ソロソロと寄ってくる店員の考えとは?
②大昔は、若ければ、読み書きと計算さえできれば、就職はできた?
①客が動けない時を見計らい、ソロソロと寄ってくる店員の考えとは?
なんかセルフのガソリンスタンドに行って、自身で給油をし始めると、
そこを見てすかさず、スタンドにいる店員が近づいてきて、
いろいろとチラシを渡してきたり、点検しましょうか、とか、
タイヤの状態はどうですか?とか、
営業し始めるのであるが、
なぜなのか、、、そう逃げられないからだ。
車に給油中で、給油口に片手で差し込んでいる最中なので、
その間、その場所に固定されて離れられないからだ。
どこのセルフのガソスタに行っても、
その最中を見計らい話しかけてくるのである。
なんか接客マニュアルにでも載っているんでしょうかねぇ。
その最中に話しかけられたら、客は逃げずに大人しく、
店員の一方的な営業トークを、うんうん分かったよ、
と聞くしかなくなるから、、、見計らって行ってこいよ、と。
そう上が若いバイトに教育していくんじゃないか代々、、、たぶん。

また、こういう動けない状態を作り出すというか、
そういうのを見計らって営業をしてくる、
という方法も学ぶべきところでしょう。
自身の話を聞いてくれる(聞くしかない)状況を、
いかに作り出すか、見つけ出すか、考えていかないとね?
ええ。
②大昔は、若ければ、読み書きと計算さえできれば、就職はできた?
大昔の学校、つまり江戸時代の学校というのは、
学校と言うよりも、個人の塾であった。
ほどほどの年齢になると、親が、
近場の塾に頼んで、子供をそこに通わせて、
読み書きやら、あとはちょっとした計算とかを学ばせるのだ。
お上が行う義務教育とかではなく、大体好きに塾は選べるし、
別に子供をそこに通わせなくてもいいが、
習慣的に、親は子供を通わせていた。

で、別に教室が年齢学年とともに別れているわけでもなく、
ひとつの教室に、歳離れた子とか、
勉強の習熟度の違う子も一緒にいれて、
そこで学ばせていた。
まぁ教室の前に教師が出て、一斉に授業するわけではなく、
ひとりひとり教師がみて、
それぞれに課題を与えて、こなさせて、
それを教師に見させて、いろいろアドバイスしたりとか、
そういう感じであった。
そして教科書も、いろいろあったらしいですね。
教科書を使って、子供に物を教えるにしても、
どの教科書使うかも教師とかの自由であった。
・・・で、どのくらいの間、そこに当時の子供が通うのか、というのも、
特に定めはないのですが、大体、
10歳になる何年か前くらいから通い始めて
大体10代前半で卒業するまで、数年間といった感じであろうか。
まぁ最低限の読み書きと計算さえできるようになれば、
それで卒業ということで。
そのあとは家業を手伝うなり、どこかへ就職先探すなりって感じですか。
まぁある程度の読み書きと計算さえできれば、
当時としては、もう十分、仕事ができるってことでしょうよ。
あとは社会に出てから、まわりに教えてもらうなり、自身でまわり見ながら学ぶか。
・・・まぁ就職っていうのは若さですからね、
どこの職場も若くて素直で元気な人を求めている、、、いつの時代も。
若いウチは、職場でも、
まわりから、それなりにちやほやされて、仕事を教えてください、と
調子に乗らず素直に教えを請えば、まわりが教えてくれたりしますからね。
そういう職場では、若さがあって、
それと読み書きと計算さえ、ある程度できれば、
ウェルカムであり、あとは仕事しながら、
いろいろと次第に覚えていけばよい感覚だったんでしょうね、当時も。
<接客 歴史>