おすすめ記事(スクロールできます)



とある寺子屋の先生の日常の苦悩、心配事②

キョウイク

 

 

前回のあらすじ

 

今から、250年前の、とある寺子屋の先生が

生徒に、日頃から強く言い聞かせたいことを

寺子屋の教室内の壁に張り出した、したため書き、が

今でも残っており

それに書かれていたことを途中まで

取り上げて説明していった。

今回は、それの続きです・・・・

 

 

前回の記事↓

とある寺子屋の先生の日常の苦悩、心配事①

 

 

 

午後の授業にも、遅れずに出席しろ!

 

寺子屋には昼になっても給食なんて出ないし

弁当とか持ってきている生徒もいなかった。

なので昼になったら、みんな一旦、昼飯(午飯)を食べに一斉に

家に戻るのである。(昼飯は家で食べてこい!)

みんな、農民の家の子なので、家に帰ったら

親は、そこらへんの田んぼや畑で作業しているので

呼べば、家ですぐに簡単な飯を作ってもらえるのである。

(というか親も、昼なので家に帰ってきていた)

そしてそういった生徒の中には、昼飯を食べた後に

友達同士で集まって、ちょっと昼休み時間的な気分で

遊びに出かけていってしまう奴らもいたわけで。。。

もちろん午後からも寺子屋での授業はある。

一応、遊びに出かけていってしまった奴らでも

ちゃんと寺子屋には戻るのだが

寄り道が過ぎるぞ!っていうことらしい。

早く戻ってこい、授業はとっくに始まっているんだぞ!

 

 

指名した生徒に、書物(教科書)を音読させている時に、まわりの生徒は筆で硯(すずり)を叩いて、リズムをとるな!

 

授業中、指名した生徒に、教科書(往来物という)を音読させているときに、

まわりの生徒の中に、はやしたてるように

「キンッ!」「カンッ!」「コンッ!」と

筆の柄で硯を叩いて、音頭(リズム)をとりだす奴がいて、

そうなると同調して教室内で、他の生徒達も悪ふざけに乗って

合わせて叩き始めるらしい。

そういうのをやめろ!ってこと。

 

 

他の寺子屋の生徒とケンカするな!、、、というか関わるな!

 

どういう口実で喧嘩になったのか、というと

寺子屋からの下校中(帰り道)とかに

他の寺子屋へ通っている生徒の集団とあうことがあったらしい。

(寺子屋はたくさんあったので、よく会うらしい)

その時に、「お前ら、どこの寺子屋の奴らだ!」といった感じで

(どこの中学よ?って感じ)

「お前のとこの寺子屋より、俺らの通っている寺子屋の方がレベル高いから!」

とか、いい争いになって揉めることがあったらしい。

授業内容がどちらの寺子屋の方がすすんでいる、とか、ホントどうでもいいことで。

とにかく他校の生徒と揉め事を起こすな。

そして、あまり不用意に関わるな、ということ。

しわよせ(苦情)は、全部、先生のとこにくる!

 

 

寺に来客があった時に、一々騒ぐな!

 

寺子屋といっても、普通の寺ですから

いろいろな用事で、外から、お客さんがくることがあった。

そして寺子屋の先生は、その寺の坊さんですので

授業中であっても、時間を取って、それらの対応をしなくてはいけなかった。

先生が「今日、寺に大事なお客さんが来るから騒ぐなよ!」と生徒に

言って聞かせるが

実際に客が来て、先生が教室から抜け出すと

教室にいる生徒達は大人しく自習、、、しているわけがない!

案の定、ワイワイ騒ぎ出す。

( 普通に勝手に遊び出したり、「誰が来たんだ?教室見に来るかな?」とか

言って、はしゃいだりしていたらしい )

先生としては、こんな時くらい静かに書写でもしていてくれ、、、

といった感じだったようです。

おもいっきり、こっち(来客部屋)まで聞こえてきている、、、苦笑。

 

 

・・・古文書の達筆そうな文字で書かれているので

一見、たいそうなことが難しく書かれているんだろうなぁ、とか

思いながら訳してみれば

寺子屋の先生(坊さん)の愚痴みたいなのが、つらつらと

書かれているだけであった。

まぁ、その寺子屋にとっては大事なことですし

生徒のためを思ってのことですが。

 

というか、

ネット上でオークションとかで数千円くらいで

江戸時代の誰が書いたのか、よく分からない(著書不明)の

日記とかも大量に出回っている

まぁ大体、こんなような日常の心配事とか愚痴とかが

ズラッと書かれている。

 

それらを解読できるようになれば

当時の人達が、何を考えていたのか直接分かるようになる

というのが、古文書を勉強することの面白味である。

 

あと授業、授業と何度か言ったが

寺子屋の教室内で先生が前に出て

教室の生徒たちに一斉にモノを教えていたわけではない。

生徒達も、年齢層が違う子達を、ひとつの教室に集めて

教えていたので

先生が個別に順に、その生徒達ひとりひとりに

文字の読み書きを教えたりしたり

年上の生徒が、年下の生徒にモノを教えたりして

面倒を見ていた、、、、ということらしい。

学校と言うよりも、塾みたいなところですかね。

っていうか実際、その寺の坊さんが好きで開いている塾ですからねぇ。

(好きに誰でも開業できるから、めちゃくちゃ寺子屋は増えた)

 

そんな寺子屋でも、一応、学費は生徒から取ったらしいですが

貧しい農民の子とかは、家の畑とかで採れた野菜とかの物納でも

OKだったらしく、寺子屋へ入れるハードルは低く、ゆるかった。

慈善的な面もあった感じですね。

だからこそ幅広く、当時の子供達が寺子屋へ通えて

識字率も高くなった、ということですね。

 

まぁ、とにかく、今回の記事(と、前回の記事)で

私が言いたいことは

昔の人も、今の人も同じ人間でありますので

考えていることも、やっていることも

似通っている、ということ。。。

 

 

 

SH

 

 

子供に物事を教える人の苦悩は、

浜の真砂と同様に、尽きにくいものでしょうよ。

 

 

 

<関連する記事>

 

数学の成績が悪かったので数学教師を訴えた話

 

生徒が学び舎の廊下を走ったから訴えた話

 

学生時代の英語の勉強は、社会に出て役に立ったか?

 

 

 

 

<江戸時代 寺子屋 教育 学校 教師 塾 教室 先生 規則 校則 相談>