三途の川を渡る料金が100円ほど(6文)なのはなぜ?

 

 

うろ覚えでテキトーの書きだしていくので、そこらへんご理解を。

 

 

 

まずは、そもそも三途の川っていつ頃からあるのか、というと

とりあえず国内では平安時代頃ですから、まぁ大体千年ほど前から

なんかあるとかいわれているらしく

なんかその頃の書物に出てくる。

 

 

 

で、三途の川の渡り方に関しては、生前良いことしていた人は、

普通に金銀とかでできたピカピカの橋をわたっていくことができて、

なんかちょっと悪いコトしていたヤツは、

橋は渡れず川の浅いところを歩いていき、

で、生前マジで悪いコトしていたヤツは川の深いところをわざわざ通って

向こう岸へいかなければならない、とか言われていた。

 

 

基本、この頃は、橋を渡るにせよ、川の中から通っていくにせよ、

船なんか使わずに基本徒歩で歩いてあの世へいけ、、、ってことなんですね。

 


 

けれども平安時代を過ぎて、もっと時代が経過して

まぁ大体室町時代頃になると、

悪人も救われるべきだとか言う考えも広がってきて

生前おこなった行為の善し悪しにかかわらず、みんな平等に

船に乗ってあの世に行こうぜ!みたいな考え方ができてくるのである。

 

 

で、その時にその船に乗る料金が6文、、、

まぁもし江戸時代だったら、たしか1文は、今で言うところの

20円ほど、、、つまり現代で言えば缶ジュース1本分であった。

結構、安いかもね。っていうか安い。

 

 

江戸時代のソバ食うのに1杯16文ですからね。

今で言う300円ほどだったということ、

 

 

 

で、このあの世への船に乗るための駄賃ないし料金が

なぜに具体的に6文なのかとかいうのは、

同じく大体室町時代頃、、、まぁすでに戦国時代に入っていたかもですが、

その頃から6文ということになっていたらしく、

なにやら生前のおこないによって、天道やら地獄道やら餓鬼道やら、

他3つあるのですが、そういった道を巡らなきゃならんとか言われていたらしく、

あの世への渡り賃(三途の川を渡る金)ということもあったが、

あの世への旅行費ということで、そういった6つの道を巡る費用と言うことで

6文と言うことになっていたんだとか。

 

 

ひとつの道につき、たった1文ですむだなんて、

あの世の管理者は金に頓着しないのかね。

 

 

 

で、江戸時代頃になると、みんなお亡くなりになられた人の棺だかの中に

小銭6文入れて、埋めるようになったんだとか。

 

 

今現代では、燃やすときにそういった実際の副葬品みたいなの入れるのは

アレであって、金を持たせようとしても、実際の通貨入れるのは

貨幣損傷等なんちゃら罪になるということもあるのか、ちょっとそれは・・・

ということになり、紙にプリントされた6文分の絵を入れて燃やすんだとか。

 

 

(それに硬貨は燃えないから、

焼き残ったら持っていきそびれたことになりますからね、

昔は土葬だったから、そのまま入れちゃえば、

そのままあの世へ持って行けたことになるが)

 

 

 

あと、もしも6文持たされずにあの世へ行くと、

三途の川の船乗り場にいるゴツイ鬼みたいな老人から

身ぐるみはがされて、それを船代として没収されたんだとか、、、

・・・誰がそんな設定、考えたんだ?

 

 

SH


三途の川の七不思議

 

 

 

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