今現代では、最近あおり行為をなくすためにも
あおり自体も厳罰化されましたが、
もちろん一般道や、高速道路での前の車との間で、
車間距離ある程度取らないと
車間距離不保持違反で、反則金やら、点数取られたりするのですが、、、
昔は、江戸時代にまでさかのぼれば、
車は今のような車ではないにせよ、
(車といったら、荷物を運んだりするための牛車であった)
やはり車間距離について定めたお触れないし、法律みたいなモノは
なんとなくあったとか・・・
そもそも牛車で交通事故起こしたら、過失とはいえ
その時代、被害者がなくなったりしたら
牛車をひきいていた人は原則極刑であった。
またその牛車をひきいていた人を雇った人も
罰金払わされて、業務自粛しろとかも言われた。

だがしかし、多少なりとも例外はある。
ある時、牛車をひきいて坂道をくだっていたのだが、
(すでにフラグですね)
その牛の目の前に川があったとかで、
牛もその時暑いだったらしく
喉が渇いていたのか、水のみたさで、いきなり走り始めたのである。
それで目の前を歩いていた子供をひいてしまったのであるが、
まぁ本来であれば、極刑であるところ
その子供の親自身が不憫だ、とか言ったらしく
牛使いの罪を軽くして欲しいとのことで
(なんか示談金でもきちんと貰ったんですかね?)
牛使いは極刑をなんとか免れて、島流しになったらしい。
まぁ無事に島から出れるかは保証されていませんが・・・
被害者側からの許しがあれば、
とにかく軽くなることもあるそうで。
ちょっと話がズレてしまいましたが、
とにかく当時は、交通事故の運転手側は厳罰であった。
まぁ道に人の往来がたくさんある中で
牛を使って荷物を運ぶのであれば、その分しっかりと
牛を使う側は気をつけなさい、といったところであろうか。

なので、そういった交通事故自体出さないようにするため
車間距離についても、お上からいろいろ口出しされた。
牛車が何台も連なって道を通るときには、
それぞれ、ある程度車間距離をとりなさい、と。
牛同士が喧嘩しないためなのか、それともあまりにも
ぎゅうぎゅうに(牛だけに)詰めるようにして、
通りを通って、他の側歩いている歩行者が通りにくくしないように
するのを避けるためなのか?
まぁとにかく車間距離にも心にも余裕をもて、、と。
うまいこといったなぁ。
そういったキマリはあれども、しかし、
行事とか町中やらであった場合などは、人も増えて
やはり事故は大なり小なり頻発したらしい。
そういう時には、さらに厳しく、
もっと車間距離をとりなさい、とか追加で、お上から
言われることもあったとか。
また人混みでごったがえしている橋の上とかでも、
グズグズとその場にとどまらずにサッサと通りなさい、
とか言われるなどすることも・・・・
とにかく昔も、今みたいに
庶民の移動手段としての車ではないにせよ、
当時の運送手段としての車にも、いろいろと
あーしろこーしろ、と定め事はあったみたいでして。
<歴史 江戸時代 交通違反 法律>